未来がひとりで泣く姿を幾度となく見たことがあった。
俺以外誰も知らない未来の秘密の場所で、膝を抱えて、泣いていた。
いつも声をかけようとする度に自分の心臓があり得ない速さで動いた。そして結局声をかけず、その場を去る。いつもその繰り返しをしていた。





あいつが何を思っているのかは知らない。そして誰を思っているかだって知らない。
俺のことを好きなんじゃないかと思ったこともあったけれど、あまりにも自意識過剰すぎて考えるのをやめた。(その時、胸が痛かった)


未来の強さは何度も俺を救ってくれた。
その話を未来にすると「人は人を救えない」とぴしゃりと言い放たれた。
俺にはその言葉の本当の意味を知る由もなかった。











だから俺は未来を救えると自惚れて、声をかけてしまったのだろう。






「未来」





名前を呼べば、ぴくりと動く肩。(小動物…)
静かに上がる、頭。俯いた顔からしずくが落ちた。






「未来」

「なによ」





言いながら、ばれないように目を擦る。(でも丸見えだ)
涙を拭った未来の目がこちらを向いた。いつもの目だ。
俺を罵り、ひそやかに微笑むことの出来る目をしている。






「何かあったのか?」






尋ねれば、答えるかどうかなんて怪しい。以前だって、かわされた。今回だってたぶん、そう。





「何かあったところで、何ができるの?」





直球で返される。かわされる。
ぎりぎりの、寸でのところで避けられてしまう。








未来は確かに強かった。
俺を救い出したのは紛れも無く、彼女である。他の誰でもない。一緒に馬鹿ばっかりやる友達でもなく、ふらふらと校舎裏の隠れ場にやってくる後輩でもない。黄0野未来という彼女だ。彼女こそが俺を引きとめた。
だからこそ、恩返しがしたい。






「なあ、未来。俺には何もできないのか?」






泣き顔を見られて、ばつが悪そうな未来は俺から顔を背けていた。
遠いどこかを見て、手元を見る。細くて、白い指がコンクリートの地面をなぞっている。


ひとつ、ゆっくりと息を吸って吐く。目を瞑った後に、未来はこちらを見据えた。






「人にはそれぞれ役割があるの」






ああ、未来だ。未来の強さが現れた。






「ロミオとジュリエットだって、ロミオ役はジュリエットにならないし、ジュリエット役はロミオにならないの」






未来は人を諭す時、一度だって目を逸らさない。今、俺は諭されているのだ。
こちらに来るなとけん制もされているのだ。






「配役は最初から決められていて、今、この時、アンタはアンタがやりたい役ではないの」






ぐさり、と刺さってくるのは否めない。
未来にけん制されてしまうのはいつものことだから構わないが、俺は彼女に求められていない。



求めてもらいたいのに。









「未来…」


「お腹空いた。私のおやつの時間に付き合いなさい」






すっくと立ち上がる未来。その足はちゃんと地面についている。
華奢な身体だが、俺よりはしっかりと地面に立っている。(俺なんかより)
未来の言葉が何度も何度も刺しては抜いて、抜いては刺してを繰り返す。(こんなにも)






「ちょっと」






それに気づいた未来が胸倉を掴む。(いやいや、もっと女の子らしくしてください)
ぐんと近づいた距離に内心焦る。(顔近い…)
食い入るように未来は俺の目を見た。


その目はまるで思考を読み取ろうとしているようで、目を見ているはずなのに、それ以外のどこかを見られているかのようだった。






「アンタに出来ることはただひとつ」





への字に曲がる未来の唇。(それでも綺麗な形だ)
断然、俺よりも小さい未来が低い視点からぐっと顎を上げて、上から目線になろうとする。見下ろそうとする。(無理がある。が、さすが女王…)








「アンタに出来ることは、私のお茶に付き合うこと」








瞬時、離される手。 胸を張って、腰に手を当てて、絶妙な角度からの見下しを受ける。(さっきまで泣いていたのに)








「そんなこともできないの?配役変えるわよ?」










未来はニヒルに笑った。

その笑いにはひとつもくすみが無かった。