小屋のお掃除と餌やりをしに行った時、すでに彼らは追い詰めていた。4、5人のやんちゃ盛りな男の子達が円を描いて、真ん中には真白いうさぎが小刻みに震えていた。あっちへこっちへと逃げ惑う姿が見えて、私はその場で立ち尽くしてしまった。そして何も見なかったかのように走り出してしまっていたのだ。元来た道へと。 どうしてあの時飛び出さなかったのだろう。どうしてあの時やめて、と言えなかったのだろう。どうしてこうやって後悔をしてしまうのだろう。 次の日にはすでにみっちゃんは死んでいた。真白いその身体はまるで雪のように冷たく、そして何者も受け入れないほどに固かった。そこに確かにみっちゃんはいたのに、幼い私の目にはただの空っぽの器にしか見えなくて、その器にゆっくりと注ぎ込むように涙を流した。私の中も空っぽになっていったけれど、だからといってみっちゃんがいたはずの器には何も満たされる事はなかった。
(あ、あれは…!)
右側に千切れそうなほどの激痛を感じながら、ぶつかったはずの男の向こう側に飛んでいった本を見つけた。シンプルな表紙のあれは、御前くんが貸してくれた本だ。(傷つけたく、なかったのに…!!)毛根が悲鳴をあげているけれど、それ以上に心の中で悲鳴が上がる。動悸が激しいのはきっと驚いているのだ。こんな行動に出てしまったこととか、痛めつけられていることとか、そしてそれ以上に御前くんから借りた本が傷ついてしまったことに。(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!)今日は学校に来なかった御前くんに私は謝った。もし御前くんがあの本を特別好きだったらどうしよう。身体が痛いのか、心が痛いのか、どっちかわからないけど自然と涙が零れる。みつあみを掴んでる人が凄い怒鳴っているみたいだけれど、私の耳には全然届いてなくて、私は何を言われているのか理解できなくて、ただ解放されたら一番にあの本を救出したい。ただそれだけが私の思考を支配する。
私のどうしようもない思考能力に現われた幻の御前くんは笑い続けていた。
けれど、突然その映像はかき消された。
耳元で怒鳴っていたはずの男の声が悲痛な叫びに変わったからだ。声とも言えないような叫びは耳元でしたかと思うと、遠ざかっていった。一緒に砂と何かが擦れる変な音がして、埃が舞う。(な、何事!?)瞬間、毛根の悲鳴は治まり、少しでろんとしたみつあみが私の肩に垂れかかってきた。私は何が起きたのか、上手く反応できなくて、とりあえず吹っ飛んでいったものをかき集めに行った。優先すべきはあの本。御前くんに借りた大事な、大事な本。でも膝が笑っていて、立てなかった私は無様に地を這って、御前くんの本に辿り着く。(ああ、よかった…そんなに傷入ってないや…)指でなぞるとまた御前くんが笑った気がした。
再度、埃を払おうと本に手を乗っけると不意のその手が掴まれた。(ま、また…!?)私はさっきまでの自分の状況を思い出して、恐怖が襲い掛かってきた。
でも、その手は、さっきと打って変わって、柔らかい。(優しい…手?)
私の手を掴んだであろう人物が私を呼んだ。(多分、私を呼んだ、はず?)私はそっちを見ようとしたけれど、突然視界が真っ暗になってみる事が出来なくなる。別に気絶をしたわけではない。乱暴されたわけでもなく、ただ物理的にもう一方の手で目を塞がれた。(な、なに!?)
「ありがとう」
何故、今、感謝の言葉を述べられなくてはいけないのだろう。この、私の視界を遮っている人は、もしかして、あの、青年。(…みっちゃん)涙が、零れそうになった。駄目だ。今泣くと折角助けた(のかどうか怪しいけれど)このワイシャツの青年に心配をかけてしまう。私はただ真っ暗闇の中で必死に涙腺を閉めた。(ん?ところで…)
あたりはしんとしている。
あの騒がしさはそこには全く感じられない。(私が、目隠しされてる、から?)おかしい。おかしい。何かがおかしい。
昨日○○公園に…
茉奈ちゃんの言っていた言葉を思い出す。
○○公園に現われたらしいわ
確かに此処は○○公園だ。何日も前に逆光仮面さんが現われたという公園だ。でも、まさか、そんなはずは、ない。同じ場所に現れるなんて、そんな犯行現場に戻ってくるみたいなことありえない。有り得ない。(と思いたいのは、私…?)
そういえば青年の服装はワイシャツにメガネ。
「逆光…仮面…?」
まさかと思いながら、私は呟いていた。すると私の手を握る力が強くなった気がした。
「…ごめんね」
「僕が手を離したら、走って。走って、逃げるんだよ」
耳元に息がかかる。優しい囁きは私を逃がすための手段を教えてくれた。(まさか…本当に…)
「いいかい?一度も立ち止まっちゃ駄目だ。君の家まで走り抜くんだよ」
「貴方は、逆光仮面…さん?」
恐る恐る訊ねてみたが青年は何も言わずに、私を立ち上がらせた。まだ膝が笑っているけれど、彼の力強い手が私に勇気を与えてくれる。しっかり立って、と言う優しい声が私の膝を正常にしてくれる。私は空いた手に御前くんから借りた本を握り締めた。砂を踏む音が聞こえる。先ほどの静けさが徐々に変化しているのが、耳から理解できた。状況を理解できるのは耳しかなかったけれど、その聴覚には別の声だって聞こえる。
「ごめんね」
優しい声が、悲しそうな声に、変わっていた。
手が離れる。背中を押される。勢いにのった足がそのまま進む。一瞬、振り向こうとしたけれど、逆光仮面さん(だと思しき人)が「振り向かないで!!」と叫んだため振り向けなかった。唸り声とも怒鳴り声とも言えない声がまた聞こえ始める。そしてその声は途中で途切れたりする。(殴って、る、のか、な)私は男の子の喧嘩とか、よくわからなかったけれど、なんとなく凄い音が聞こえてくるから、そうなんだろう。
私は走った。ただ只管に。逆光仮面さんに会えたという喜びなんてそこにはなくて、ただ(怖い…)恐怖だけが住み着いている。膝が笑いそうになるけれど、必死で走って、振り向かないで、走った。せめて、逆光仮面さん(だと思う人)との約束を守ろう。私はぎゅっと御前くんから借りた大事な本を抱き締めた。(泣き、そう…だ…!!)何処も怪我なんてしていないけれど、どこかが痛くて、私は泣き喚きたかった。(「ごめんね」…)反芻されるその言葉が鼻を突く。
「ごめ、んなさい…!!」
私は風を切って、ただ走るしか出来なかった。(ついでにぼろぼろと涙を零しながら)
「ごめんね」
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