「はよ、クレハ」

聞き耳を立てていた俺はその声を盛大に無視した。(シンのことなのですぐに叩き起こされたけど…)夢の世界から現実に戻ると、朝の日差しが目に痛かった。これはもう何かの嫌がらせとしか思えなかった。

 

「脈は無くは無いと思うけど」

 

存在自体が嫌がらせとしか思えなかった。前方でにやにやする顔は羞恥心をストライクで当てに来る。(…るさい)俺はそんな確証も無い一言に狂喜乱舞するんだ。彼女の声が自然と耳に入る。ざらりと心臓を撫ぜられた気がした。

 

「…別に、彼女と…どうかなりたい訳では、ない」

 

こういうことには淡白なのかもしれなかった。彼女の声や姿を追ったり、少し会話するだけで嬉しくなったりするけれど、今は本当にただ彼女が笑っていればいいなんて思っている。それが例え他の誰かとであったとしても、(…妬かない、わけではないけれど)単純に彼女と仲良くなりたいとは思っている。女々しい、のだろうか。(女々しいとか、別に…関係ない)シンのきょとんとした、空っぽの表情に後悔を覚えた。

そこからひたすら外を眺め続けた。シンはちゃんと弁えてくれているので、存分に1人の世界へと飛び立てた。(こいつは、変に…心地いいわけだ)でも眠たかったので、寝た。朝礼は夢見ごこちでとりあえず聞いておいた。特に何もなかった。(なんとか仮面とかだけ、なんかわかった……)

 

気づくとまた辺りがざわつき始めて、休み時間だと悟った。ある程度、眠さが消えたので気分転換に外を眺めた。(暇人、だな…)呑気な事を考えているとシンの声が聞こえた。卓球オタクなんてからかわれているけれど、なかなかナイスなことを言うなと思った。僅かに三國さんの笑い声が聞こえる。

 

「なぁクレハー、どう思うよ?これ」

 

突然、話を振られて、心の中を覗かれた気分になる。どうしてこう、この男は立ち回りが上手いのだろう。視線を動かして、だるそうに奴を見ると、視界の端に三國さんの開け放したような表情を捉える事が出来た。とりあえず、ここは持前のユーモアセンスで「…何、卓球オタクさん」とだけ言っておいた。シンが少し唇を尖らせて、落ち込んだ。(…面白い、奴だ)三國さんの小さな笑い声がゆっくりと脳内を侵食してくる。温かい何かを流し入れられた気分。(…嬉しい、のか?)人を笑わせる事がこんなにも嬉しいと思ったことはない。

 

「…何の話してんの?」

「あ?逆光仮面の話。あいつら好きなんだってよ」

 


シンお得意の何か企むような笑顔がずぶずぶと思考を抉る。長年付き合っていれば、目で会話が出来るようになるものだ。(…夫婦か!)心の中で突っ込んで、少し空しくなった。そして同時に案外、自分の口の軽さに気づかされた。(なんてこったい…)気づいたからこそ閉じる事が出来たのだけれど。

 

「…三國さん。三國さん…その、あれ、…逆光…?」

 

妙にその名前を言うのは恥ずかしくて、わからないふりをした。三國さんはきょとんとした顔を一瞬、はっとさせて、それから首を傾げて「逆光仮面?」と訊ねてくれた。その言葉を待っていた自分は「そう、それ」と相槌を打つ。

 

「…好きなの?」

「うーん、好きかな…。憧れ、かな」

「ふーん…」(そうか、三國さんは逆光仮面が好きなんだ)

 

チャイムが鳴って、シンの彼女が慌てて出て行った。そう言えば、あの人の名前知らないかもしれない。シンは「さてと、またな」と言って、さして遠くも無い−かと言って近くもない−自分の席へと戻っていった。1時間目は古典だったけれど、あの先生はあまり好きではないので惰眠を貪る事にした。今日の1時間目はやたら静かだ。外から鳥とか、木の揺れる音とかが聞こえて、無性に鳥肌が立った。(ポエマーか…)1人で突っ込んで、1人で空しくなるのはもう慣れた。

 

その後、休み時間のたびにシンがやってきた。(三國さんところにはシンの彼女がやってきた)三國さんとシンの彼女(マナ…さんとか言ってたと思う)の会話にシンが何回も茶々を入れている内に気づくと普通に話していた。

 

 

 

そこから延々と逆光仮面の噂話を聞かされた。

 

 

 

「…会ったこととかって」

「ないわよ。ね、ひより?」

「そうだよ!それに逆光仮面ってカツアゲとかそういう危ないところへやってくるん、でしょ?それは、ちょっと。ね…」

「そうだね。…俺もそう、思うよ」

「逆光仮面ってメガネかけてる以外謎なんだろ?もしかしたら会ってるかもな」

「ええっ!?そうなったらビックリだよ!もし、逆光仮面さんと実は道ですれ違ってます、とかそうなってたら、え、あ、どうしよう!」

「それは…かなりくるものがあるわね」

 

 

 

 

三國さんの中で、逆光仮面、は結構な割合を占めていることが本日、一番に理解できた事だった。