これからが本番、とか恥ずかしい台詞を呟いておきながら、すでに一週間は経つわけだ。いざという時に俺はなんて臆病なんだろう。あれだけ熱心に熟考していた幾つかのプランは音を立てて崩れていく。俺の臆病さの前に。そして彼女の掌の前に。


(小さかった…)
不埒な考えだと思うなら笑えばいいと一人、悪態をついてみる。しかしながらその悪態は見事なまでに反射して、自分の元へ戻ってきた。こういう時はどうすればいいのだろう。シンに相談か?(いや、あの野郎だけは絶対頼りたくない…)

もう少し俺に度胸があればいいわけだ。

 

 

 

 

ふいに視線が合って逸らせない時、というのがあると思う。(経験はあまり、したことがないけれど…)今まさにその時なのだ。じっと眺めていた人物が、三國さんがこちらを向いた。そして目が、合ってしまった。

 

人間の目はこんなにもきょろりと可愛らしい物体だっただろうか。

 

よくよく眺めてみると、彼女は僅かな日の光を浴びて、うっすらと輝いている。(…やっぱ、天使さま)産毛、だろうか。(でも、すべすべ、していそう…)

 

ふいに視線が合って逸らせない時、互いに笑いあって、少し言葉を交わして、

 

「あの、何、でございましょう、か…?」


普通に授業に戻るというのがある。(…と思う)
経験は、今、丁度しているところだ。現在進行形、あいえぬじーだ。丁度、言葉を交わしているところだ。次は普通に授業に戻る、はず。

 

「…いや、別に」

 

でも視線は逸らせずにいて、彼女もまた視線を逸らさない。(どうして、逸らしてくれないんだ…)光る、産毛。わかっていても、彼女がまるで光で出来ているように見える。(何てことだろう…)眩しい、ってこういうことなのかもしれない。

 

「…三國さん、それ」

 

彼女が持っている教科書は明らかに授業とは違うところをひらいていた。二段書きで、教科書の中でも一番長いものだ。確か、昔の、文豪の書いたもの。(ん?文豪って何だ?)
三國さんは指差された教科書を見て、「ああ、これは、ね、」と困惑の色を見せながら、ひそりと答えてくれた。(なんか、話し掛けちゃ、ダメだったかな…

 

「なんて題名だっけ…」


「伊豆の踊り子」


「面白い?」


「うーん…難しい、かな」

 


他愛もない話を続ける。ところどころで別の生徒たちが大声で話しているから、俺達が怒られる心配はない。(…とおもうだけだけど)俺の所為で三國さんが怒られるのは忍びないから、本当は早々に話を切り上げて、視線をずらせばよかった。だけど、俺には今更、三國さん以外に向ける場所なんてなくて、板書すら今は見たくない。(誰か、叱ってくれ…)頼りない教師の叱ろうとする声が、うろうろと宙を彷徨って、結局元の場所へ戻る。振り出しに戻っている。

 

三國さんのぎこちない返答にふうん、とだけ言って見続ける。相変わらず、三國さんはどもり気味に「な、何…ですか…?」と聞いてくる。
(怯えてるのか…?)
「いや、別に…」と言っておきながら、他にすることもないので三國さんを観察する。(いや、困ってるけどさ…)何故か、困っている三國さんが可愛く見えた。(…世に言う、『重症』、か?)

 

 

そこから本当に他愛もない話をし続けた。

 

三國さんは読書家なの? …え?あ、本を読むのは、好きかな。 最近のおすすめとかある? おすすめ、って言われても…。 現代文の読書感想しようかな、と思ってて。 普段…どんなの読むの? …普段は、ミステリーとか、サスペンス…かな。 そっか。 この前、伊坂幸太郎読んだけど失敗したよ。 そうなの?私あんまりミステリーとか読まないから…。 そうなんだ。じゃあよく読む作家は? 江国香織とか…かな。御前くんはおすすめとか、ない?最近読む本がなくてつまらないの。 (…名前呼んでくれた)乙一とか、どう?ちょっと怖いかもしれないけど…。 こわいの? 怖いというか、女の子に向いてるのかなって感じ。GOTHとか、グロテスクな作品があったり…あ、でも君にしか聞こえないはいいと思うよ。 ああ、最近映画化されたやつ?あ、あれって映画まだだっけ? え?どうだっけ…あんまりそういう情報には疎いから。 そっか。 個人的に村上春樹とか好きだったりするんだけど…読んだ事、ある? あ、あれは、海辺のカフカを読もうとして…。 もしかして断念しちゃった? …うん。難しい、ね。 そうだね、ちょっと難しいかもしれないよね。

 

 

他愛もない話は結局、授業が終わるまで続いた。チャイム以外に会話をとめるものがなかった。(…それは言い訳だろうけど)

 

授業が終わるといそいそと帰り支度をし始める三國さん。それに倣って、一応自分も帰る準備をする。あとは終礼(…今日は、掃除当番じゃ…ない、か)だけで終わる。(あ、三國さんは当番だ…)

 

 

 

また、始まりそう。

 

 

 

三國さんは本を読み始めた。担任はいつも、なかなか終礼時に現れない。だから彼女の選択は正確だ。(…ただ、少し…裏切られた気に、なる)

手持ち無沙汰になった自分はというと、景色を眺めながら、ゆっくりと、思い出していた。

 


彼女の目だとか、なんだか失敗したみたいな前髪だとか(それも愛しい)、ちょっと乱れたみつあみとか、発光する肌とか、伊豆の踊り子とか、さっきの会話の受け答えだとか、些細なことをひとつずつ思い出しては消化していく。吸収していく。今、脳のどこらへんをつかっているのだろう。(緊張した、みたいな、彼女も可愛かった…)

 

 

 

明日も話せるだろうか。俺の(三國さんと一気に仲良くなっちゃうぜ、イエア!!…言ってて虚しい…)プランだとか、そんなの関係無しにやってくるチャンスのおかげで。

 

 

 

 

チャンスは自分で掴むものだろう。

 

 

 

 

どこぞの少年漫画か、と突っ込みたくなるような台詞が、恥ずかしい台詞が、キャラじゃない台詞が、脳内に投下された。神様、アンタ俺に何を望んでるんだ。でも、確かにチャンスは自分で掴むもの、かもしれない。(思うだけ……では、ない、です。はい)

 

 

 

 

 

「三國さん、また、明日」

帰り際に声をかけると、箒を握り締めた三國さんが笑って、「うん、じゃあね」と言ってくれた。やっぱり彼女は眩しい。
(三國さんって、何で帰ってるのかな…電車?自転車?徒歩とか?)

 

 

 

 

そうか。計画とか、関係ない。チャンスとかも、どうでもいい。

 

 

 

 

握り締めて、放さなければいいわけだ。