ああ駄目だ俺。好きな女の子の前で負けそう。しかも人生初の。なんて無様なんだろう。彼女に(言いたくないけど、認めたくないけど)逆光仮面だってこともばれたくなかった。(恥ずかしい…)優等生のふりをして、裏で結構なやんちゃしてたってことも知られたくなかった。なのにコイツの所為で、ボンレスハムにして輸送されかねないコイツの所為で、俺の計画も、正体も、そして人生初の負けも、彼女の前に姿を現すんだ。なんてこったい。彼女に嫌われたら、(俺もう駄目かも。人間失格かも。人生諦めようそうしよう)
「クレハくん…!!」
彼女の声が聞こえるまでは。
どうしてだろう。目の前に広がる光景に、冷静に疑問が浮かんだ。
目の前で、どうして、三國さんが、倒れているのだろう。
「チッ…そいつ馬鹿なんじゃねぇの!?」
でも、お前に三國さんをバカにする権利なんてどこにもないんだ。そうさ、三國さんはバカな子だよ。数学の問題が解けなくて、泣きそうになるバカな子なんだよ。ノートの落書きを見られて大慌てするバカな子なんだよ。男の喧嘩に飛び込んでくるようなバカな子なんだよ。でもお前に馬鹿にされるような馬鹿な子じゃないんだよ。馬鹿は馬鹿でも、可愛いバカなんだ。
「お前に」
湧き上がるような感覚。こんなこと今までなかった。頭に血が上っているんだ多分。でも意外にも冷静な自分がいる。冷静な自分が身体に命令する。あいつを倒せ。
あいつを倒せ。
「お前に…」
ボンレスハムに近寄り、襟元を掴んで立ち上がらせた。(首でも絞めればよかっただろうか…)それでも今の俺は、この拳を使いたかった。これでなければ、何も発散されない。握り締めた俺のこの手でなければ、俺の中のちりちりとした気持ちを伝えられない。それはとても身勝手だけれども、こいつに身勝手も何もあったものか。
「お前に三國さんをバカにする権利なんてないんだよ…」
けほ、と咳をすると血が出た。気づくと口の中が何箇所か切れていて、鉄の味がじわじわと染み始めた。そして同時に右手の異様な熱さにも気がついた。見下ろすと、手の甲は赤くなっていて、少し、痛い。
全身の力が抜けた気がした。これで終わったわけではない。胸のもやもやはあれを殴ったところで晴れるわけもなく、ただ虚しさだけがいやに質量を増した。胸の中はもう積載量をオーバーしている。それなのにまだ、終わってなどいないのだ。
打ち所が悪かったのか?
こんな気持ちになることなんてなかったか?
後悔先立たずなんて便利な言葉があるけれど、憎たらしくて仕方ない。どうしようもない、馬鹿げた考えが頭の中を膨らませて、正常に考えるなんて出来ない。(ねえ、君なら、笑ってくれる?)
「三國さん…」
逆光仮面が俺で幻滅しただろうか。
三國さんが公園で突進してきた時から酷いことをした。自分が傷つくのが嫌だからって、三國さんを傷つけて、好きな女の子を傷つけてまで自分を守ろうとした。そんな俺の事を嫌いになっただろうか。そうだとしたら、なんて哀しいのだろう。それでも、君に馬鹿な俺に対する慈悲の心があるならば聞いて欲しいことがひとつあるんだ。聞くだけでいいから。(ねえ、聞いて。三國さん)
「…三國さん」
ゴメンね。俺、本当にバカだから、君のこと傷つけたよ。君の可愛いバカとは違って、本当にどうしようもない馬鹿だから、君を傷つけた。それでもまだ自分が大切なんだ。俺は馬鹿だよ。だからこんなこと言うんだ。許してくれるかな。許してくれなくてもいいよ。(身勝手でごめん)
「俺さ、三國さんのこと…好き、なんだ」
言葉にするのは簡単で、でも自分の気持ちはそんな言葉よりも大きくて、大きさを説明するにはまだ俺の言葉の数は少なくて、でも誰よりも一番に伝えたい。誰よりも、君が好きだってこと、一番好きだってことを、知って欲しいんだ。
「好きなんだ」
どうか僕の浅はかさを許して下さい。
「…御前くん…」
腫れた頬にのびる白い手。
「…クレハくん」
三國さんが目を開けて、微笑んでいた。優しい三國さんの目に俺の姿が映っている。涙腺が一気に緩んで、それを隠したくて、勢いで三國さんを抱き寄せた。彼女の柔らかくて甘い匂いが鼻をつんとさせた。
「守りたかったのに…」
とても大切で、大好きな君が俺を守ったんだ。
「…ありがとう、三國さん…」
その後、三國さんは随分と怪我をしたので保健室へと茉奈さんに連行されていった。(そんな茉奈さんに一発殴られた)
俺は慣れていたので、後からシンとゆっくり保健室へ行くことにした。(とはいえちょっと痛い)
「バレちゃったな」
「…ああ、バレちゃったよ」
「……いいのか?」
「うん…もういいよ」
「……なあ、クレハ…もうひとついいか?」
「…ん?」
「お前さ…」
「?」
「あれ、は、いいの?」
「…は?」
「ほら、だからさ、あれ…だよ」
「……はっきり言えよ。殴るぞ」
「ヤメテクダサイ。………………好きって言っちゃったけど、いいのかなぁ?…って、思って…」
「……!!」
そういえば勢いで言ってしまった。かあっと顔が熱くなる。
(あの時はもういろいろ一杯一杯で、どうしようもなかった俺。あ、ヤバイ、また泣きそう。泣いちゃう。泣いちゃうって、ホントもう、どんだけ俺を泣かせれば気が済むの!?や、ほんと、どうしよう!!)
熱くなる頬を手で覆って、まるで乙女のようだ。シンが後ろから追いかけてくる。とりあえずもう一発殴った。
(どうしようどうしよう!!ああもう………なんてこったい!)
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