三國さん三國さん三國さん三國さん…はっ、またやってしまった。
気づけば6時間目の授業も終わっていた。5時間目の時と同じ終わり方だ。5時間目は4時間目と同じ終わり方をしたし、4時間目は3時間目と同じ終わり方をした。そして3時間目も……エンドレスなわけだ。エンドレス。
しかしてそれは俺が悪いんじゃない。(いや、考える自分が悪いさ)


三國和。みくにひより。彼女が悪いのだ。そう彼女の存在が悪なのだ。
(俺にとってはほぼ、ではなく絶対的に天使さまだけど)


俺の右隣で熱心に黒板を睨みつけて、ノートとも睨めっこして、大丈夫かこの子ってくらいに唸って、ちょっぴり泣きそうになったりしながら、何やら彼女にとって難解な式が解けたのか、ぱっと笑ってシャーペンをノートの上で躍らせる。(でも答え間違ってる)

彼女の小さな溜息が可愛くって、(やっぱりかわいいな…)なんて思っていると、三國さんがこっちを向いた。(見てたのバレたかな…?)

多分彼女は外の景色を見るつもりだったのだ。俺の左隣は窓。爽やかな夏の匂いがする。ん?蒸し暑いの間違いか?しかしながら三國さんは窓ではなく、俺の目と合致してしまった。(あ、ヤバイ…)

ふい、と視線を逸らすと三國さんも視線を逸らした、ような気がした。
それからずっと(三國さん三國さん三國さん三國さん三國さん…)
そんな風に大好きな数学の時間は終わってしまったわけだ。
(チクショウ子悪魔め。いや、絶対的に天使さまだけどさ!)


とりあえず教卓で何かを言っていた先生の声を思い出して、手繰り寄せて、今日はどこの頁の何をやったのかを思い出す。俺の得意技・秘儀巻戻しの術。恥ずかしいし、キャラじゃないからシンにも話した事ないけど。


「それから昨日言ってたようにノート提出しろよぉ」

ああ、そんなことも言っていたのだな。数学大好き(のふりをしている)俺は提出物もきちんと出来ている。しかし、それは別に数学大好き(のふりをしている)だけが理由じゃない。


前々から考えていた計画を、今、施行する。


鞄の中から提出と言われていた宿題用ノートを取り出して、いざ出陣。目指すは数学係、三國さんだ。


ターゲットである三國さんはというと、未だにシャーペンを握り締めたままで座っていて、少し落胆した感じだった。多分、黒板に書いてある答えに肩を落としたのだろう。(見かけは賢そうなのにな…)


立ち上がる。

心の中で(ねぇ…)と呟く。

(ねぇ…コレ提出らしいんだけど…)と少し(自分にしては)長めの台詞を試しに呟く。もちろん心の中で。

これを三國さんに言うのだ。

三國さんの前に行って、不自然じゃないように、

自然に言うのだ。

 


三國さんの前に立つと、「…ねぇ」とリハーサルした時みたいに言ってみた。(心の中で呟いた時より少し、息が、詰まってる)自分の声帯が動くというのはこういうことなのかな、と改めて思った。


一度言ってみても気づかなかったのか、それとも気づいていながら無視なのか、彼女は一向に顔を上げなかった。ただ少しだけぴくりと動いた気がする。(ここからみると小動物みたいだ…)少しだけ屈んで、彼女の顔を覗き込んだ。

「…ねぇ、」呟いて、

彼女が顔を上げて、

いきなり立ち上がった。


椅子が少しがたんと音を鳴らして、突然の事で吃驚したけれど、今は吃驚している場合じゃない。吃驚したら負けなんだ。

息を整えて、口を開く。何だか妙に乾いている。


「数学のノート、提出らしいんだけど…」


言った。出発の一言を言えた。よくやったぞ御前紅葉、お前は上出来だ。
三國さんは未だに呆けていて、魂が抜き取られているみたいに突っ立っている。正直早く自分の席に戻りたい。(こんな恥ずかしい状況をシンに見られたら終わりだ)


自分の席に戻りたい一心で、とりあえず三國さんの前に提出ノートを差し出してみる。しかしながら三國さんは「え?」と言いたげな顔をして、ふと視線を俺のノートに移して、やっと気づいたらしい。(ああ、可愛い…)ようやくシャーペンを握り締めたままの指を解いた。

 


握りたい。

 


「ありが…」

三國さんの言葉が聞こえる。聞こえるのだけど、頭がぼう、としてわからなくなっていた。よくわからなくなっていた。


まさか自分が三國さんの手を掴んでるなんて、わからなかった。


やばいじゃないか、クレハ。お前の計画はプランGを施行しているというのに、何故、プランAに移行しているんだ。バカか。バカクレハか。おかげで三國さん、こっちを凝視しているじゃないか。え?何で触ってんの?みたいな顔してるじゃないか。


焦った自分はとりあえず勢いで握ってしまった彼女の右手にノートを無理矢理押し付けて、さっさと席に戻った。するとちょうどシンの彼女がやってきて、突っ立ったままの三國さんに話し掛けて、三國さんが慌てて、こけた。(どこで何につまづいたの…?)窓の外を眺めているふりをしながら、傍耳をたてていたものだから思わず笑ってしまった。


そうこうしている内に三國さんの気配が消えた。(どこにいったのだろう?)
代わりにシンが来る気配がして、でも俺はわざと振り向かなかった。(今、振り向くと…だめな気がする…)


「わりーな、クレハ。連れが邪魔したな」
茶化すような声でシンが前の席に座った。

少し、隣の席に座らなくてよかったと安堵。


「……うるさい」

窓を見たままそう言うとシンが笑った気がした。(コイツ常々しめてやりたいと思ってるんだけど…)ちょっと殺意が湧いてしまったわけだ。

それにしても、彼女の手は


「……これからが、本番、だけど」


柔らかかった。