次の日も御前くんは来なかった。(…残念だ)

私の鞄の中には御前くんから借りた本が入っていた。本はそんなに汚れていなかったけれど、保健室で見た夢が怖くて、今日こそ返そうと思った。返す時を延ばし延ばしにして、もしあの夢が本当になったら怖かった。そして仲直りをしたいと思ったからでもあった。




昨日、帰ってからシンくんからメールが来た。



『御前くんは反省している、仲直りしてやってくれ』



文の最後に猫さんが土下座していた。思わず私は笑って、『いいよ』と送った。語尾には猫さんがOKマークを出した絵文字を使っておいた。



シンくんのメールは助かった。(また、話せるね)机の上にある、御前くんから貸してもらった本を撫ぜる。少しだけ土がついていて、どきりとしたが、ぱっと払うとすぐに綺麗になった。本も持ち主のところに帰れると喜んでいるように見えて、私はそれにつられるように笑っていた。





 











だからたぶん、そんな些細なことに気づかなかったのだ。























6時限目の授業が終わる。

そっと隣の席に視線を移せば、そこには誰もいなかった。(御前くん…)

今日も彼は来なかった。なぜか、なんてわかりきっている。(そんなにも私のことが…)しかし、そうやってネガティブになる自分を叱責する。



シンくんは御前くんが反省していると言っていた。



シンくんは昔から私に嘘をつかなかった。どんな些細なことでも彼は口にして、頭を下げて謝ってくれる人だ。とても正直な人なのだ。

だからきっと、御前くんは体調が悪いとか、そういう理由なのだろう。私はそう信じたい。







ホームルームが終わり、各々生徒たちが帰り始める。部活へ行く人もちらほら見えた。

私はというと、人が引くのを待ってから帰ろうと思った。自身の席に座って、ある程度帰り支度をしてから、御前くんが貸してくれた本を再度読み直した。そうしていると、ホームルームを終えた茉奈ちゃんがやってきた。茉奈ちゃんはにこにこしながら、今日の化学の時間に起こった先生の面白エピソードを話してくれた。そして甘いものが食べたいということで意気投合し、コンビニへ行くことにした。





その時、廊下の窓から外を見ると校門あたりに人だかりが出来ていた。(何だろう…?)有名人が来た、とかだろうかと思ったが雰囲気からして違った。

その人だかりの雰囲気は騒々しく、険悪な感じだった。まるで喧嘩でもしているかのようだ。

茉奈ちゃんが隣で「あの制服、隣町の工業高校じゃないかしら?」と言った。あんまり隣町のことや周辺の学校に詳しくなかった私は「へー」としか言えなかった。





「何してるのかしら?喧嘩…っぽいけど」





茉奈ちゃんが眉を顰めて、細部を見ようと試みていた。私も真似してみる。でも何もわからなかった。(あれ?)しかし、そこで何かひっかかるものを感じた。あの服、そしてあの体型と顔はどこかで見たことがある。普段、制服の男の子は出来るだけ見ないようにしているので、町中ですれ違ったとかいうことではなさそうだ。(!!)





「思い出した…」





へ?と茉奈ちゃんが空っぽな声を出した。





「あの人たち、この前逆光仮面さんと喧嘩してた」



そうだ。あの制服とあの顔ぶれは確か公園で逆光仮面さんに絡んでいた人たちだ。あの根元が黒いけれど金髪の人は私の髪を引っ張った人だ。(そして逆光仮面さんに跳ね飛ばされていた)どうしてここにきたのだろう。









「なんか人探してるみたいだぜ」

「えー、何それ…こわーい」





騒ぎを聞きつけて、廊下に出てきたであろう生徒らの話が聞こえる。

一体、誰を探しにきたというのだろう。逆光仮面さんはこんなところにはいないはずだし、この学校には彼らたちが喧嘩を売るような人間はいないはずだ。(ううーん、こわいなぁ)

















「……三國さん」













突然、声をかけられた。振り向くとそこには同じクラスの男の子がいた。

とても形容しがたい引き攣った表情で私を手招きする。(なんだろう?)近づいていくともじもじとしはじめた。そして、私は耳を疑った。





























「あの人たち、三國さんのこと探してるみたいだよ…」

























「え?」茉奈ちゃんの声がした。

私も何がなんだかよくわからなくて、クラスメイトに「え?」と無意味な音を発した。









「なんか…三國さんの生徒手帳持ってて……」



「なんで、あんなやつらがひよりの生徒手帳持ってんのよ!?」





茉奈ちゃんがクラスメイトの市ノ瀬くんに詰め寄った。でも、そんな理由を無関係の市ノ瀬くんが知ってるわけがなかった。市ノ瀬くんはおろおろおどおどしながら、「知らないよっ!」と茉奈ちゃんに反論していた。(そりゃそうだ。)

でも私はその理由を知っていた。ひんやりとした汗が皮膚の内部を通っていくような、変な感覚に襲われる。一体全体何が起こっているのか。(よくわかんない、けどよくわかるような) 茉奈ちゃんは思考の世界へと飛び立った私に必死で「行っちゃダメよ」と言っている。

でも私はなんだか、ふわふわしたような気分だったので、茉奈ちゃんの言葉はただの音にしか聞こえなかった。













きっと、多分、逆光仮面さんに出会ったあの時、落としたのだろう。

逆光仮面さんを恐れ多くも助けようとして、捨て身タックルをした時に御前くんから借りた本とかその他もろもろと一緒にぶちまけて、拾い忘れたのだろう。

それに気づいたのが彼ら、不良さんたちで逆光仮面さんではなかったのだ。(もし逆光仮面さんなら穏便に届けてくれたかな)馬鹿なことをちょっとだけ考えてみる。そこから素敵な物語とか始まらないだろうか。うん、始まらないな。





一通りの思考を終えて、不意に窓の外を見てみた。





相変わらず、彼らは下校する生徒ひとりひとりをにらみつけて、私を探している。なんということでしょう。無関係の人たちが怯えることになるなんて。それもこれも私が生徒手帳を落とした所為、拾い損ねた所為だ。





「ひより…行っちゃ駄目よ」





茉奈ちゃんが静かに私を見据えた。茉奈ちゃんは私のことをよくわかっている。

茉奈ちゃんの目が痛かった。「そうだよ、三國さん」市ノ瀬くんも茉奈ちゃんの意見に賛成のようだった。でも、そうもいかない。それじゃダメなのだ。









「ごめん、茉奈ちゃん。行かなきゃ」













あの時拾い損ねた生徒手帳の代わりに私は勇気を貰ったから。