シンは授業中にも関わらず、律儀に返信してくれた。挙句の果てには昼休みに電話までしてきたのだ。(良いやつ…) しかし「生きてますー?」と言われた瞬間には切ってやろうかと思った。(良いやつ…なのか?)
「シン…昨日はごめん」
他愛もない話の後、沈黙が流れた。それが我慢なら無くて出た言葉がこれだった。でも一番初めに言いたかったのはこれだった。
電話だというのに沈黙が続く。
「クレハ、このままでいいのか?」
ようやくシンが口を開いた。
「ひよりは案外タフだからさ、すぐ立ち直るさ。…けどお前は?」
三國さんの名前が出て、俺は心臓を突っつかれるような感じがした。
わかっているはずなのだ。
「何でさ、バレちゃいけないわけ?」
「それはさ…俺のわがまま」
電話口の向こう側で「はぁ?」と呆れるような声が聞こえた。それはそうだろう。彼女に、三國さんにバレてはいけない理由はただ一つ。自分自身の我儘のためなのだ。だから俺は苛立ちを覚えた。(殴れるなら…殴りたい)手持ち無沙汰な左手で拳を作ってみる。これで何人も殴ってきたんだな、とか思いながら眺めて、そっと自分の左頬に当てる。ごつごつした骨が頬の肉を持ち上げた。(一思いに…殴れたなら)ふっと顔を上げた視線の先にある姿見に映る、情けない、項垂れた自分。(俺は馬鹿だなぁ…)
「馬鹿だよなぁ…」
口を突いて出てきた言葉はシンに対するものではなかった。
「……もっとシンプルに考えようぜ、クレハ」
こういう時のシンの言葉はずっしりと重く圧し掛かる。それは悪い意味ではなく、良い意味でだ。
「お前のさ、わがままって自分のためもあるけど、ひよりのためでもあるんじゃねぇの?」
そんなことを認めてしまうといけない気がした。そうしたら自分を無理やり正当化しているみたいだった。それは違う。一言俺は言った。でもシンは納得していないようで、不満げに唸った。
「お前はひよりのこと好きなんだろ?」
「…うん」
「ひよりは逆光仮面のこと好きだぜ?」
「……うん。だからダメなんだ」
「何で?」
「彼女のそれは逆光仮面だからなんだ。俺だからじゃ、ない」
言っているうちに虚しくなった。彼女が見ているのは逆光仮面だった。俺じゃなかった。(彼女は知らないだろうけど…)
「告んねぇの?」
唐突な質問には面食らったが、俺は至って冷静だった。
「…今の関係を潰してまで、そうはなりたくない」
だから答えは簡単に言えた。
「お前さ、茉奈さんになんて告ったの?」
「…ひみつ。俺、茉奈に5、6回はふられてるんだ」
「しつこい男は嫌われるぞ」
シンの笑い声の向こう側でチャイムの音が聞こえた。シンの笑い声が止んで、そろそろ行くなと静かな声が伝わってきた。沈黙が流れる。電子音が聞こえて、チャイムが鳴り終わったようだ。
「ひよりのこと、慰められんのお前だけかもしんねーから…」
そのままの静かさでシンがそっと呟いた。その言葉は俺にはとてもちくちくした。でもシンの声はやさしかった。
ぷつりと電話が切れる。向こうの雑音もシンの笑い声も全部嘘のように消えた。残ったのは耳に響く機械音で、後はいやな耳鳴りがしただけだった。目を瞑って、通話終了ボタンを押した。
俺はわがままだ。
(……いやだ)
彼女の姿が全く思い出せなくなるのは嫌だ。(三國、さん)まだ思い描けるけれど、その姿はとても悲しそうな顔をしていた。(三國さん)昨日見た姿だ。俺が酷いことをした後の姿だ。
ぽたりと雫が垂れて、シンの静かな声をゆっくりと思い出した。
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