シンは授業中にも関わらず、律儀に返信してくれた。挙句の果てには昼休みに電話までしてきたのだ。(良いやつ…)
しかし「生きてますー?」と言われた瞬間には切ってやろうかと思った。(良いやつ…なのか?)

 

 

「シン…昨日はごめん」

 

 

他愛もない話の後、沈黙が流れた。それが我慢なら無くて出た言葉がこれだった。でも一番初めに言いたかったのはこれだった。
案外素直に謝れる自分に感激する。昨日は本当に悪かったと思う。シンに八つ当たりをしてしまった自分を恥ずかしく思った。俺の馬鹿みたいな行動の所為で、シンの大事な幼馴染を傷つけてしまったかもしれない。思い出すだけで情けなくなる。(ホント…馬鹿だな…)しかしシンは何のことだとはぐらかした。だから俺も敢えて突っ込まなかった。






 

 

電話だというのに沈黙が続く。






 

 

 

 

 

「クレハ、このままでいいのか?」

 

 


 

 

 

ようやくシンが口を開いた。
どう応えていいのかわからなくて黙っていると続けて言った。


 

「ひよりは案外タフだからさ、すぐ立ち直るさ。…けどお前は?」

 


三國さんの名前が出て、俺は心臓を突っつかれるような感じがした。
(彼女は、タフ…なのか)彼女の目とか、表情とかを思い出す。何を言われたか理解できないような呆けた顔と直立した身体。思い出すだけで苦しくなる。(…いたっ)彼女を遠ざけても仕方なかった。遠ざけたところで何か変わる訳でもなくて、自分を納得させる訳でもなかった。ただどちらも傷ついただけで、俺は俺自身を守っただけになった。それでいいはずがないこともわかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

わかっているはずなのだ。

 

 

 

 

 

 


「何でさ、バレちゃいけないわけ?」

 


シンの言葉に何故か、苛立ちを覚えた。
それは彼に対してではなく、自分に対して。

 

 

「それはさ…俺のわがまま」

 

 

電話口の向こう側で「はぁ?」と呆れるような声が聞こえた。それはそうだろう。彼女に、三國さんにバレてはいけない理由はただ一つ。自分自身の我儘のためなのだ。だから俺は苛立ちを覚えた。(殴れるなら…殴りたい)手持ち無沙汰な左手で拳を作ってみる。これで何人も殴ってきたんだな、とか思いながら眺めて、そっと自分の左頬に当てる。ごつごつした骨が頬の肉を持ち上げた。(一思いに…殴れたなら)ふっと顔を上げた視線の先にある姿見に映る、情けない、項垂れた自分。(俺は馬鹿だなぁ…)

 

「馬鹿だよなぁ…」

 

口を突いて出てきた言葉はシンに対するものではなかった。
沈黙の流れる受話器から電子音のみが聞こえる。

 

 

「……もっとシンプルに考えようぜ、クレハ」


 

こういう時のシンの言葉はずっしりと重く圧し掛かる。それは悪い意味ではなく、良い意味でだ。


俺は彼女のことが好きだ。(多分…)暇な時は彼女を目で追っていたし、何かにつけて気になった。

 

 

 

「お前のさ、わがままって自分のためもあるけど、ひよりのためでもあるんじゃねぇの?」

 

 

そんなことを認めてしまうといけない気がした。そうしたら自分を無理やり正当化しているみたいだった。それは違う。一言俺は言った。でもシンは納得していないようで、不満げに唸った。

 

 

「お前はひよりのこと好きなんだろ?」

「…うん」

「ひよりは逆光仮面のこと好きだぜ?」

「……うん。だからダメなんだ」

「何で?」

「彼女のそれは逆光仮面だからなんだ。俺だからじゃ、ない」

 

 

言っているうちに虚しくなった。彼女が見ているのは逆光仮面だった。俺じゃなかった。(彼女は知らないだろうけど…)


逆光仮面と呼ばれる俺を彼女には見てほしくなかった。逆光仮面としてではなく、俺として、御前紅葉として彼女に接してもらいたい。彼女に好かれたい。これが俺のわがまま。俺が望んでいる事。でも俺の中で最も重要な事だった。

 

 

 

「告んねぇの?」

 


 

唐突な質問には面食らったが、俺は至って冷静だった。

 

 

 

「…今の関係を潰してまで、そうはなりたくない」

 


 

だから答えは簡単に言えた。
本心だった。俺は確かに彼女が好きで、大好きで、誰にも譲りたくない。でもその半面で今の関係が心地よいと思っている。シンと茉奈さんと、三國さんがいて、俺がいる。四人で過ごす時間は楽しかった。嬉しかった。だから今の関係を潰そうとは思えなかった。(でも君のことを考えると胸が痛いよ)

 

 

「お前さ、茉奈さんになんて告ったの?」

「…ひみつ。俺、茉奈に5、6回はふられてるんだ」

「しつこい男は嫌われるぞ」


 

シンの笑い声の向こう側でチャイムの音が聞こえた。シンの笑い声が止んで、そろそろ行くなと静かな声が伝わってきた。沈黙が流れる。電子音が聞こえて、チャイムが鳴り終わったようだ。

 

 

 

 

 

「ひよりのこと、慰められんのお前だけかもしんねーから…」

 


 

 

 

そのままの静かさでシンがそっと呟いた。その言葉は俺にはとてもちくちくした。でもシンの声はやさしかった。

ぷつりと電話が切れる。向こうの雑音もシンの笑い声も全部嘘のように消えた。残ったのは耳に響く機械音で、後はいやな耳鳴りがしただけだった。目を瞑って、通話終了ボタンを押した。



 

 

 

 

俺はわがままだ。



自分のやりたいことばかりやって、大切な子を傷つけて、大切な親友に怒られて、慰められて、そのくせ自分では何もしてない。(わがままが過ぎるな…)


目を瞑るとまた彼女が浮かんできた。もしこのまま、彼女と仲違いしたまま過ごして、いつまで彼女の姿を思い描けるだろう。もし彼女の姿を思い描けなくなったら、俺はどうなるんだろう。涙腺が少し緩む。

 

(……いやだ)

 

彼女の姿が全く思い出せなくなるのは嫌だ。(三國、さん)まだ思い描けるけれど、その姿はとても悲しそうな顔をしていた。(三國さん)昨日見た姿だ。俺が酷いことをした後の姿だ。


 

 

 

 

 

 

ぽたりと雫が垂れて、シンの静かな声をゆっくりと思い出した。