こんなことで学校に行きたくなくなるなんてバカだ。

 

朝起きて、身体がだるい気がした。でも熱なんてなくて、お母さんは心配してくれたけど、熱がないなら学校へ行くしかない。いつもならすぐ着替えられるはずの制服が今日はとても煩わしくて着替えにくい。
(どうして、こんなにつらいのかな…)


鞄の中身を確認して、私はちくりと痛みを感じた。ひっそりと顔を見せる本。(御前くんから借りた…)


 

 

 

ミサキくん。やっぱり彼だ。

 

 

 

 

彼が私を休ませようとする最大の理由だ。御前くんから借りた本が恨めしい。冷たい彼の表情、そして放たれた言葉の素っ気無さ。お腹が痛く、なり、そう。私が何をしたというのだろうという怒りと悲しみが混在して、ただでさえ回らない頭の回転は更に悪くなる。(仕方、ないんだ…)諦めるしか方法はなくて、鞄から本を取り出した。(私は、ずるい…)妙な罪悪感を持ちながらも、結局は自分を、優先してしまった。

 


学校へ行くと、何故か私の席に茉奈ちゃんがいた。茉奈ちゃんは私を見つけるなり、ほっとしたような顔をした。

 

 

 

「おはよう、ひより」

 

ぱっちりとした目が細い弧を描く。もしかして私が来るか、心配していたのだろうか。茉奈ちゃんのわざとらしい(それでも屈託の無い)笑顔を嬉しく思う反面、余計なお世話だと思ってしまった。(私、駄目な子だ!!)

 


茉奈ちゃんはそれから全く彼とは関係のない話をしてきた。気を使っているつもりなのだろう。けれど私は逆に、全く彼が話しに出て来ないことで余計なことばかり思い出してしまう。(いけ、ないなぁ)茉奈ちゃんなりの気遣いを潰してしまわないためにも、私は精一杯笑って見せた。(茉奈ちゃんには心配かけてばかりだ)

 

 


不意に茉奈ちゃんの座っている席に目がいった。

 

 


 

 

 

私の席のちょうど隣、窓から差し込む光が眩しい席。

 

そして私にとっても、とても眩しかった席。

 

 

「三國さん」

 

 


彼の優しい声が聞こえた気がした。

 

眠たそうな眼が、震える睫毛が、輝く黒髪が、優しい音を紡いでいた。

 

 

 

 

 

「でさぁその時……ひより!?」

 


茉奈ちゃんの驚いた顔が目の前に見えた。それによって私が思考の世界へと飛んでしまっていたことに気づく。(重症だ)


どうしたの、と訊ねられて、私はそれに何で、と答えた。茉奈ちゃんがつらそうな表情をする。そして私の顔をそっと両手で包み込んだ。

 

 

 

 


「どうして…泣いているの?」

 

 

 

 

 


茉奈ちゃんの静かな言葉につんと鼻が痛む。

 

優しい声、眠たそうな目、震える睫毛と輝く髪。
そして突然崩れた、優しい音。


気づけば私は涙を流していたらしい。こんな風に涙を流してしまう事もあるのか、とどこか私は冷静でいた。けれど茉奈ちゃんはとても慌てているみたいで、ごめんねと繰り返す。(茉奈ちゃんが、泣きそう、だ)申し訳なさと未練がましさが身にしみる。私もごめんねと言うと、また茉奈ちゃんがごめんと繰り返す。同じ言葉たちは教室の片隅でひっそりと生まれては消えていく。

 

「ほ、保健室!保健室行くから!!」

 

茉奈ちゃんの手を振り払って、勢い良く立ち上がる。茉奈ちゃんは瞬時驚いた風を見せた。つらそうな茉奈ちゃんの顔が見えた気がしたけれど、敢えて見えなかった事にする。

 

「朝から調子、悪かったの!シ、ンくんに伝えておいて!!」

 

元気でいる必要は多分、なかった。茉奈ちゃんとは仲良しだったから、泣いて、喚いても良かったはずだった。けれど出来なかったのは多分、理由がある。このままではいけない、と焦る自分が訴えかける。(このままで、は、いけな、い!!)目を強く擦ると、ひりひりした。ごまかすように手を振ると茉奈ちゃんは何かを言いかけたけど、私は走り出してしまっていた。予鈴が鳴っている。人の流れに逆らって、私は廊下を走った。(走っちゃいけないのに!)誰かに見られてはいけなかった。今の、この悲惨な顔を見られてはいけなかった。

 

目の端にメガネをかけた男子生徒が見えた気がした。それで私は更に速度を上げる。このままではいけないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


こんな風につらくなるなんて初めてで私は人の少なくなっていく廊下でひとり、躓いた。