どうしよう私何しちゃったのかな気に障るようなことしちゃったのかな嫌われちゃったのかな折角仲良くなれたのに私のばかばかばかばかばかばか…
気づくとぼたぼたと泣いていた。廊下の先、曲がり角に消えていった御前くんとシンくんが夢だといいのにって思った。あとは本当に何も残っていなくて、ちょっと水色に光る廊下が余計寂しくなって、冷房が何故か異様に寒く感じた。
「ひより!!」茉奈ちゃんの声が聞こえたけれど、身体が上手く反応できなかった。嫌われるのってこんなにもつらいんだね。ごめんなさい私の大嫌いなオクラさん。本当は貴方の事、星型でかわいいなって思ってたんだよ。別の事を考えてみたけど、すぐにクレハくんの大きな目が浮かんできて、涙が勝手に体外へと旅に出た。
「ま、なちゃん…どう、し、よぉ」
嫌われちゃった嫌われちゃった私嫌われちゃったよ茉奈ちゃん。辛うじて声になって出た言葉は壊れた機械みたいで滑稽だった。茉奈ちゃんは頭を撫でてくれたけど、すごく怒っているような気がした。大丈夫、と言って茉奈ちゃんが抱き締めてくれる。でも大丈夫になんてなれなかった。
「おい、待てよクレハ!!」
シンの叫ぶ声が聞こえて、ようやく立ち止まる事が出来た。目の前にやってきたシンは今にも噛み付きそうな勢いだった。
「…何」ぶっきらぼうに呟くとシンは胸倉を掴んで、壁に押し当てた。背中に衝撃があって身体に響く。(っ…!)衝撃が激痛になる。
「お前…何やってんだよ…?」
「何って…別に」
そう答えると右頬を殴られた。意外にも彼の拳は痛かった。普段、そういうことの出来ないシンの拳は少し赤くて、それ以上に握り締めすぎて掌の方が痛そうだ。
ああ、俺何やってんだろ。好きな女の子泣かしちゃって何やってんだろ。
好きな女の子は泣かせちゃうんだ、ってそんなレベルの問題じゃない。(俺、最悪だ)
でも俺にだって、いろいろ考えてる事があるわけだ。こうやってシンみたいに怒ってもらえるのは逆にありがたい。早くこの仕様も無い考えを振り払って、三國さんに謝りに行きたい。だけど出来ないのは何故だろう。
「クレハ…何考えてんだよ?」
「…自分のことだけしか考えてない」
それは本心だった。俺の浅はかなる本心が顔を見せてしまったのだ。
「ひより…泣くぞ?」
「そんなに大事ならお前が守れよ」
シンに当たる必要なんてどこにもないはずだ。でも俺はむっとして、思わず口を突いて言葉が出てしまった。シンは一瞬黙り込んだが、凄い形相で俺の事を睨んだ。(そうだよな、お前には彼女がいるもんな)俺は適当なことを考えて、シンのことをどこかで馬鹿にしていた。
「…そうやってひより試して楽しいか…?」
唸るようなシンの声が耳に届く。妙にかちんときた。衝動でシンを掴んだ。けれど殴れなかった。何故なら、あながち間違っていなかったからだ。
楽しくは無いさ楽しくは無いそれでも試しているのは確かかもしれないんだごめんごめんね三國さん。
心の中の懺悔はきっと彼女に届かない。むしろ届いて欲しくなんてない。こんな彼女を試すような真似、するべきではないんだ。
彼女の透き通るような目が大きく見開かれたのを思い出して、俺は内臓を引っ掻き回されたような吐き気を感じた。
「じゃあ…お前に何がわかんだよ…?」
噛み締めるように呟けば、自分の中の腹立たしさがどれほどまでに大きいかわかった。本当は叫びたい。本当は苦しいと言ってしまいたい。自分自身にこれほどまで腹立たしさを感じた事なんてないはずだ。ああ、叫んでしまいたい。(でも無理、なんだ)あの子を泣かせてしまったかもしれない。好きな女の子を悲しませてしまったかもしれない。それとも彼女に軽蔑されてしまっただろうか。(ああ、そんなの、嫌だ)でも沸々と煮えたぎった俺の中の思いは次々に出てくる。
「いいよな…お前は何も背負ってないだろ!?」
こんな風に叫んだのはいつぶりだろう。仲のいい友人なんてシンぐらいしかいなかったけれど、こんな風にシンに怒鳴るのは初めてで、自分自身戸惑っている。(それでもこの気持ちは、治まらないんだ)
「俺が何背負ってるかわかってんだろ!?お前にしか知られてないもんな!?」
噴出してくる苛立ちは自分に対してなのに、シンに当たってしまう自分が恥ずかしい。恥ずかしいけど、苛立たしいんだ。シンの表情が一瞬変わった気がして、申し訳なさが更に増す。(でもコイツだって悪い)見当違いの思い違い。知りながらも考える俺の浅はかさは自身をも苛立たせた。(ごめんな)言っている事と思っている事は矛盾していて、頭は混乱していた。
「俺だってプライドくらいあんだぜ!?何言われてもさらって流してると思うなよ!!それなりに我慢してる事ぐらいいくらでもあんだ!!」
それでも仕方ない。仕方ないと思ってきた。これがさだめとか、そんな生易しい言葉で封じ込めてきた。それしか方法はなくて、それ以外に方法はないと思った。ばれた方が楽とはどうしても思えなくて、結局俺は俺が大事で。(でも彼女だって大事なんだと、思う)
誰も通らない冷たい廊下に俺の声が響いている。シンが口を開いた。
「クレハ…おま、」
「シン、俺つらいんだ」
「俺が…さ、逆光仮面だってばれるのが」
シンの言葉を遮って、本心をぶつける。コイツにわかってくれ、とは頼まない。誰よりも人のことを心配してくれるシンにこれ以上手を煩わせるのはゴメンだった。おれは自分自身を呪った。高いプライドが、彼女に正体をばれることを拒んだ。
シンが黙り込む。耳鳴りがしているような気がした。(このまま、全部、聞こえなくなればいい)
彼女に幻滅されたくない。浅はかな考えはどこまでも続く。彼女を危険な場面に巻き込んでしまった。きっと彼女は逆光仮面に絶望し、そしてその正体である俺自身をいずれ軽蔑するだろう。そんなのは嫌だ。君に嫌われるくらいなら、遠ざけるしかないと思った。(君に嫌われるなんて、死刑宣告と同じようなもの)でも嫌われる以外にも嫌な事はあった。自分が自分でいられなくなる。そんな気がする理由が、彼女を思い遣る心の片隅でひっそりと息を潜めていた。
俺は好きな女の子より、自分を選んだ。
シンが神妙な顔つきで俺を見る。そうだ。そうやって俺を軽蔑してくれ。好きな女の子を泣かせる俺をバカだと罵ってくれ。
でもそれすらも自分のエゴなのだ、と俺は堂々巡りの思考の中で彼女の笑顔がバラバラになっていくのを黙って見ていた。
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